ありがとう。
何とか2011年を無事に終われそうです。
3月11日、M9の恐ろしい揺れの後、
息子たち二人と一緒に
小学校に避難しようと思っていたの。
近所の方が「私の実家に行こう」と誘ってくれるまでは。
「二階建てだし、二階には布団も食料もあるから、
小学校に行くよりいいと思う。どうぞいらしてください。」
まさか、あんな大きな津波が来るなんて全然考えてなかった。
借家の平屋に住んでいる私たちからすると
二階建てのお家はとても魅力的で。
二階にいれば大丈夫なのかも、などと軽く考えて。
彼女の実家に向かう間、多くの人たちとすれ違った。
それは、山に向かう人達。
人の流れと逆行して歩いてる私たち。
何だか嫌な予感がして、
立ち止まったとき。
「津波だ〜。津波が来たぞ〜!!」
見ると道路に茶色の水があちこちから流れ出てくる。
慌てて近くにあった歩道橋へ。
歩道橋の上から見るその様子は、
夢のよう。もちろん悪夢。
水位はどんどん上がっていって
渋滞だった車を飲み込んでいく。
勢い良くいろんなものが流されていく。
道路の両端のお店の一階は茶色い水に隠れていく。
沈みそうな車の中から体を半分出している女性。
車の上に立って助けを待つ男性。
お店の二階に付いている看板にしがみついている男性。
ガソリンスタンドの建物の屋上に立っている人たち。
シューシューという音と共にガスが吹き出ているガスボンベ。
おまけに雪まで降ってきて。
寒さと恐さで歯がガチガチなって。
それなのに目の前で起きていることが理解できずに
夢のなかにいるような心もとない感覚。

(歩道橋の上からとった写真。店の一階が見えなくなってきてる。)
この様子をみながら、平屋の我が家はもうダメだなと思ったし、
町全体がもう終わったな、って思っていたよ。
今でもあの歩道橋に行くと怖くなるし、涙が出そうになる。
そして、感謝の気持ちでいっぱいになる。
歩道橋がなかったら私や息子たちの命はなかったはずだから。
あのまま進んでいたら、逃げるところもなかったし、
波にのまれて死んでいただろう。
豊と会えたのはその5日後。
職場の名前を言えば、みんなが涙ぐむ程、町全体が壊滅状態のところ。
私は寒さに弱い豊のことを考えると心配で心配で。
充電が切れそうな携帯を何度も何度も眺めていたの。
そんな私をみて、息子たちは、
お父さんが死ぬわけないじゃん、とさばさばと私にいってくれて。
どっちが親なんだか。
しっかり者の息子たちです。
それでも顔を見るまではやっぱり心配で。
だから、「こちらに◯◯◯◯いませんか?」と探しに来てくれたときは
一目も気にせず抱きしめて号泣してしまった恥ずかしい私。
でも、生きてて良かった。
この続きや書きたいことは山ほどあるけど、とにかく、
こうやって生きているのは、ラッキーな偶然が重なったことと、
家族や周りの友達、そしてこうやってここに来て下さる皆さん、
励ましの言葉や贈り物など送ってくださった皆さん、
心配してくださった皆さんのおかげです。
たくさんの方たちのおかげで生きている私です。
本当にありがとう。
2011年。
大変な年でしたが、沢山の愛を与えていただけた年でもありました。
来年は自分のことばかりでなく周りの大切な人達のことを
大切に大切にしたいです。
本当に本当にありがとう。
*ともちゃん*